地域医療研修のご紹介

研修で地域全体を視野に入れた医療活動が体感できます

町立津南病院では、平成22年より毎年、東京慈恵会医科大学付属病院および東京医療センターの初期研修医の先生方(合計23名)を受け入れています。

1ヶ月の研修では、外来診療・入院診療・在宅医療・を予防医療(保健健康増進活動)などを行い、地域全体を視野に入れた医療活動を体感できます。

また、NST、ICT、糖尿病透析予防チーム、認知症ケアチームなど、多職種協同でのチーム医療にも参加していただいています。

感想文、研修写真を添付しましたので、どうぞご覧ください。

研修医の方にお寄せいただいた感想文をご紹介します

地域医療研修感想文 (研修期間 2020.9.1~2020.9.30)

東京慈恵会医科大学 研修医 定兼伊吹

「医学は厳しく、医療は暖かく」

研修医となり早一年半が過ぎ、漠然と「地域は医師不足であり、多くを期待されるかもしれない」と緊張しながらも、自身の未熟さを再確認する良い機会と考え、私はここ津南町に来た。そしてこの地で、私の座右の銘である「医学は厳しく、医療は暖かく」という言葉を改めて見直す機会を得た。

津南町の人口は1万人を割り、遂には高齢者人口も5割を超えた。研修は町唯一の中核病院での日常診療を中心に、地域の取り組みにも多く触れた。慣れない紙の診療録や検査オーダーに苦戦しながらも、漸く初日の業務を終え、既にいくつかの疑問が浮かんだ。

「同姓の職員、患者が多いのは何故か」、「最年少が77歳とは」、「なんぎいとは何か」と。受持ち患者は優に20人を超えるが、7名が同姓であり、職員を合わせると同姓は10人に及んだ。年齢も77歳を最年少に、半数以上が90歳を超える長寿である。終いには口をそろえ「なんぎい」という始末。同姓の多くは家族や親類関係、同じ在郷の住民であり、互いを認知した関係である。「なんぎい」とは体の不調を訴える新潟の方言であるらしく「難儀」に由来し、心の不調には「せつね」と言うらしい。そんな様々な疑問や驚きから私の地域医療研修は始まった。

病院は絵に描いたような医師不足、研修医の私がまるで主治医かのように患者と接する機会が自ずと増えた。未熟な私にできることは何かと考えた時、「医療は暖かく」を思い出し、患者の声に耳を傾けることを心掛けた。難聴、認知症、意識障害、訛りが大きな障壁となり、意思疎通は難航したが、なんぎいことについては聞き漏らさないよう留意した。そんな中で戦争時代、空爆から身を隠した話などを聴き、改めて如何に長寿であるのか気付いたりした。そんな中、良好な転機を辿り、いざ退院という時点でまた大きな壁に直面した。「一体この人はどこに帰るのか」、「誰がこの人の面倒を看るのか。」施設入所中の方は安心だ、帰る場所があり面倒を看る人もいる。「1人暮らし」、「身寄りがいない」、「子供も80歳」など到底そのまま帰して良いはずがない。単に退院と言っても患者のADLを理解し、家族を理解しないと先に進まないのだ。患者は1人ではなく、家族の中、社会の中の1人である。なんぎいことばかりに耳を傾けたが、患者を理解するには疾患だけ、個人の事だけでなく、家族の中で、社会の中でどのような状況にあるのかの把握が必要なのだ。

「地域に求められる医療」を考えると、地域の特性はもちろん、患者周囲の環境を知ることが社会から求められる医療の答えの1つであり、目標である「医療は暖かく」につながるのだろう。「医療は暖かく」を実践していく上では常に「社会の中の患者」という観点を持ち続けるべきだと思い知った。どれだけ患者が「暖かく」感じたかは推測するしかないが、その点において私は全力をかけたつもりだ。一方で「医学は厳しく」について言えば、1つ1つの疾患・手技への学びはしたつもりだが、「つもり」で終わっていたとも否めない。

「医学は厳しく、医療は暖かく、しかし現実は厳しい」これが実際のところだ。

研修医という大樹の陰に守られた立場につい甘えてしまうこともあるが、1年後いや、半年後には責任をもって医療を行うのだから、「自立」し、その現実に立ち向かってゆく。

26歳となり、残りの医師人生は40年くらいあるだろうか、意外と短いと感じつつ、実際のところはまだまだ長いのだろうか。10年後、20年後そして40年後までニーズは変化するのだろう。思えばここが日本の未来であり、最先端であったのかもしれない。